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~1981年ドイツ・展示会での物語~ ユーロショップ出展記<連載No.1>

出展決断まで

1980年の確か7月であった。なにげなく捨てようとしたDM(ダイレクトメール)の中に、「ユーロショップ’81」の出展案内があった。
当時、コミーの商品は、輸出に向けたPR活動はほとんどしていなかったのに、少しずつ注文が入ってきていた。
しかし、ヨーロッパでは2~3件の問い合わせがあったぐらいで、まだ一つも実績がなかった。もちろん私自身、あんな遠いところへ一度も行ったことはない。見に行くだけでも大変だ。
この窓口であるドイツ商工会議所(日本支部)に一応聞いてみた。「3年に一度しかない世界最大の店舗ショーである。 通訳、宿泊、展示装飾などあらゆる問題はまかせてくれ。あっせん料は一切とりません。申し込みまでまだ時間があるので検討してください」とのこと。

しかし、データもなにもなく、金とヒマをかけて出展して、「ヨーロッパではああいうものは売れない…」などではさまにならぬ。
あらゆる人に相談してはみるが、みな専門外なのでどうにもならない。
そんなとき、ウチのお得意さんで旅慣れている社長より、「少し金がかかっても、下見は必要だよ。初めて行き、初めて展示したのではショックが大きすぎるよ」というアドバイスをもらう。
確かにそうだ。しかし今回ショーを下見だけにしたらあと3年待たねばならぬ、と思っていたところ、フランクフルト見本市の団体旅行があったので、早速申し込み、9月に行くことになった。
市場調査と慣れのためというわけ。

フランクフルトでは、ショーウインドーのカメラや家電はほとんど日本製だった。
これには、聞いてはいたもののちょっとびっくりさせられた。また、我がライバルに相当する防犯ミラーもかなり取り付けられてはいるが、質が相当悪い。
我が社の製品は小企業といえども可能性大いにありと感じた次第だ。

そして、ユーロショップ出展には金とヒマもかかるが、3年~5年の償却と思えば何とかなるのではないかと思った。
かつてジャパンショップに初出展したとき(1972年)も、初めは出展費用だけでも我が社の1か月の売り上げに近く、売れると思ったものがさっぱり売れず、しかも決算書を税理士に見せられ青くなったことがあった。
しかし後になれば、このときのジャパンショップ出展により、世間が急に広がり、相当な勉強になったことも事実であった。
当時に比べればユーロショップ出展費用なんかチイセイ、チイセイ、早く世界に飛び出そうということになった次第。
こうしてコミーが小さい会社ながらも、私が半月も不在となっても、電話だけで自然と注文が来て、問題なく処理できる会社に成長させて頂いたことは大変ありがたいことである。とにかくやってみよう。

出展までの日程

<3月30日~4月1日>
シンガポール航空で成田発、朝10時。
飛行機は全くの「鈍行」で、経由地が多く、台湾→香港→シンガポール→コロンボ→ドバイ→チューリッヒでそれぞれ1~2時間停まりながら、フランクフルトにやっと着き、それから電車で目的地のデュッセルドルフの民宿まで、延々36時間。民宿では貫録たっぷりの親父さんと奥さんが堂々と握手を求めてきて、大歓迎! ひとまず安心。

コミーの小間での小宮山

<4月2日>
展示会場の下見や、取引銀行(三和銀行支店)に現地の様子を聞きに行く。何か伝えることがあるか、というから同行の顧問の人がタイプを借りる。外国での書類作成は、タイプとレターヘッド(自社名表記)が必需品であることが後でわかる。
日本商工会議所の出先にも挨拶をすませ、以後これからの生活や仕事のためにデパートで買い物。

<4月3日>
日本から送っておいた展示品(2か月程前に船便)やカタログ(10日前に航空便。送料だけで16万円)を運送屋さんより無事に引き取る。
商品にキズは付いていなかったが、かけたヒモがゆるみ、1本なくなっている。
また、カタログは一度破けて中身が出てしまったのか、ガムテープでベタベタ貼り直してある(日本へ帰って梱包を研究しなくては)。
小間装飾はだいたい指示通りできているが、ジュータンはまだ(こちらから色の指示がなかったという)。
あわてて、やっとやらせて、今度は私だけで展示品の取り付け。ビス1本取り付けるのにもくたびれる。電動ドライバーと人手が欲しい。なんとか格好だけはつける。
そして、明日から通訳をしてくれるナオコ女史(後述)と夕食。緊張のせいか、夜もあまり眠れず。いよいよ明日から開幕…。

ナオコ女史とエーワンの新井社長

<4月4日~9日>
ユーロショップ出展。午前10時から午後6時まで。

大規模な展示場

西ドイツは展示会の国ともいわれている。ヨーロッパ全土やほかの国から商売に来るのだろう。事実、私がもらった名刺だけでも30か国ぐらいはある。
この国の人は真面目で、安心できるからだろうか。展示したものがなくなったり、装飾業者に頼んでもいつできるかわからない国だったら出品者もいなくなるに違いない。
また、デュッセルドルフの市自体が真剣に取り組んでいるように見える。展示会があると、ホテルはまず満員になるという。
今回も日本からの旅行者のかなりの人が近くのケルンに泊まり、そこから通っているし、我々出品者の多くも民宿を借りている。
我々の泊まった民宿は、かつてこの家の娘さんが使っていた部屋を貸して、小遣い稼ぎをしている。展示会は大きな観光事業みたいなものかもしれぬ。
日本はどんなに大きな展示会でも1日見ればたくさんであるが、ここではだれでも2~3日は泊まって根気よく商談していくようである。
会場は東京・晴海の国際貿易センターの5倍ぐらいはあるであろうか。
歩くのが大変なのでホールとホールの間には動く歩道もあり、専用バスもある。中心には大きなビルがあり、スーパーあり郵便局ありで、一つの街になっている。
また、大きな会議場もあり、そこで出展者だけのパーティーがあり、我々も出席したが、3つのバンドを入れて派手にやっていた。
何人かは数えられなかったが、500社が出展したので、平均1社2人としても1000人のパーティーになる。
ほとんどの展示会場は1階にあり、そのすみでは立ち喰い屋台店がビール、パン、スープなどを出している、高級レストランは2階にあるようであったが、私は金と時間がもったいなかったので、1階のすみで、パンとソーセージとコーラを飲み込んだ。
一度スープを飲んだが、周りの人たちが何か異様な雰囲気である。なぜか鼻息だけ聞こえる。ワカッタ、ここではスープは音を立てて飲んではいけないのである。
すすり音が聞こえなくなると同時に、口で息ができなくなるから鼻息だけになるのだろう。大発見(?)であったがスープの味はどうしてもマズく、半分ぐらいこっそり捨てた(私は嫌いなものはない方だが)。

No.2へ続く