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畳の部屋の物語 竹カンムリのデザイン 第3話

竹カンムリのデザイン 第3話

● その六 竹と和紙のAKARI

イサム・ノグチ氏の代表作「AKARI」

ドムス昌代という作家の本に「イサム・ノグチ」という上下の本がある。 読むのも一苦労の厚い本である。一気に読み上げたのは5年前。イサム・ノグチの全貌が解りかけた。 父の事、母の事、北大路魯山人の事、妻となった山口淑子の事等が。 ヒゴと和紙のボンボリ照明は盆のチョウチンにも似ている。竹ヒゴと和紙の組み合わせである。 発注を前に原宿にあるH.Hスタ イル(インテリアショップ)を訪ねた。本店にはイームズチェアが並んでいた。 その前にイサム・ノグチコレクションがあった。 剣持を認めたイームズ、イサム・ノグチとも交流が深かった剣持、そんなことを思いながら隣の新館を訪ねた。 客は一人もいない。アルマーニを中心としたブランド品を展示している。建物空間が実にいい。 安藤忠雄氏の設計によるものだ。表参道ヒルズとは異なった、安藤忠雄氏の味が生きているいい建物だ。 10年前、横浜の現場で石を使った。庵治石、錆石というものだ。 発注した石は、長さ3m、巾1m、厚さ8cm、10人でやっと持てる代物だった。 香川牟礼から届いた和泉屋石材の石は、是非、牟礼に来いといっているようだった。 まだ行っていないイサム・ノグチの仕事場を近く訪ねてみたいと思っている。 ● その七 置き家具 ● ヤマカワラタンとその材料 部屋を作って調度をそろえる。 お施主さんにその調度が嫌われてしまったら建物全体が無に等しくなる。 家具を好きになっていただけるかどうか、これが一番大切なところです。何故なら一番、身に近いところにあるからです。 座る、手に触れる、目につく、五感全てに関係するものだからです。 特に今回の置き家具は見慣れているものではないからです。 頁をさいてその材料・歴史・人との関わり方、それを活かした日本のデザイナー達を記すことが私の責任でもあります。 そうしないと、このデザインがつながらなくなるからです。 “藤”という字があります。“ふじ”と読みます。草カンムリです。“籐”という字があります。“とう”と読みます。 竹カンムリです。英語ではラタン(RATAN)と言います。竹に似ていますがその違いを知っている方は多くありません。 竹は空洞ですが籐は全てソリッド状です。正しい認識がないと、雑貨・トロピカルな製品のイメージのままで終わってしまいます。 ここで部屋に使われる家具をより理解していただきたく頁をとりますこと御了承願います。 日本に入ってきたのは奈良時代、中国からの輸入品でした。皮籐(ピール)が入って来ました。 使われたのは美術品、工芸品、武具、楽器等です。 竹の性質では、「編む」「組む」は出来ても「巻く」「結ぶ」は苦手でした。 中世武将の武具に重藤の弓と言われるものがありました。竹の弓に籐を巻き込んだもので、ここには美が添えられております。 刀槍の柄をはじめ、筆や笛になる道具に施されていました。 巻き方にも工夫が凝らされて装飾的効果と併せて、握るという動作を感触等に助ける働きをしています。 ・美術工芸品となった刀、槍、笛、つりざお、弓 ・生活品 衣下、矢立て、印籠 ・その他 箸入れ 箸入れはコミーで拝見させていただきました。 昔から皮籐を用いたものが日本には主流でした。 明治に入って、海外からの外国人の生活に、横浜では籐椅子を作り販売する業者さんが生まれました。 それが大正・昭和・戦前期に廊下の3点セットとして中流階級等で使われ出したのです。 どことなくコロニアル(植民地的)なイメージを持った製品でした。 哲学者・西田幾太郎のリビングルームでの写真は籐椅子に腰をかけていましたし、また作家永井荷風偏奇館(麻布)の家具は全て籐椅子でした。 一般庶民の生活の中では銭湯のカゴ、籐マクラ、乳母車、廊下の折タタミ椅子がありました。 戦後、イングリット・バーグマンとハンフリー・ボガートの映画『カサブランカ』の背景にも植民地の味をした籐椅子が見られます。 最近の映画『タイタニック』では、リッチなご婦人たちが座って談笑している上級室の椅子・テーブルが籐椅子で映っていました。 昭和40年代、屑入れカゴに、籐の芯籐の安物が出回るようになってきました。籐手芸もはやってきました。 「ラタン→芯籐→安かろう→悪かろう」と こんなイメージの流れがあったようです。 フィリピン・台湾・香港からアジアの香りをつれた家具がコンテナでたくさん入るようになりました。 そんな中で、工芸品としても価値あるものとして復活させてみようと考えたデザイナーが剣持勇でした。

ニューヨーク近代美術館にコレクションされた剣持勇の作品「籐丸椅子」

昭和39年、氏のデザインはニューヨーク近代美術館の永久展示品に選定されました。日本人として初めてでした。 その籐椅子はどこか子供を入れておくイズメを想わせるものでした。その後も剣持は籐うあ曲木、成形合板でデザインをしていきますが、 この椅子が最も気に入っていたと、夫人よりお聞きしました。 もう一人、渡辺力氏も籐のデザインでイタリアのビエンナーレで受賞をしています。 ともにブルーノ・タウトの教え子です。その時のメーカーが山川ラタンでした。 ・山種美術館茶室 谷口吉郎(東京)特注 ・軽井沢プリンスホテル南館 清家清(長野)特注 ・YMCA野辺山センター 内井昭蔵(長野)特注 ・帝国ホテル「なだ万」 村野藤吾(東京)特注 などがありました。 剣持勇氏は、山川ラタンの山川譲氏に熱心にデザイン指導をしたと言われております。 <7月15日> インドネシア在の山川譲氏がデザイン・製作した椅子がビックサイトに展示されました。 山川氏とは20年ぶりの再会でした。2時間近く語り合いました。 何故なら若い頃、山川氏の門をたたき、デザイン入門を試みたからです。 3年間の短期間でしたが、親類となる木場の水澤工務店を担当させていただき、日本の建築家たちの和の現場を見せていただけたのも遠い思い出となってしまいました。 ラタンの第一人者・山川譲氏のデザインの家具をコミーに推薦させていただいた次第でございます。 ・ラタン原産地 インドネシア、フィリピン ・歴史 エジプト時代から ・有名なメーカー マクガイヤー(USA) ラタンが好きだった建築家達 ・ 谷口吉郎 ・清家清 ・ 村野藤吾 ・アルヴァ・アアルト ・アントン・レーモンド (全て故人) ● その八 絵 ──名残り── 絵はブドウダナに残ったブドウの絵です。器にもられた綺麗な絵ではありません。 大切な日本文化にたとえれば朽ち古くなっても「永遠」にあってほしいと願う人々のやさしい心をこの絵は表現しているように思います。 耳を澄ましてみる、控え目に小さい声で語りかけてくるそんな絵を探していた。絵と作家の人柄からこの絵をセレクトさせていただきました。 画家、吉永純代氏は美術年鑑のトップの方でもなく、ビリの方でもない。真ん中より上の方で、控え目に歩いている方です。 年鑑の掲載内容も大げさな記事は一切ない。若くして宮本三郎・佐野繁次郎に師事。海外の生活も長い。 フランスで活躍された木村忠太を彷彿させる絵を描いている。 1年前の個展会場は妙に燃え上がったそうだ。 ショーウィンドゥの絵に導かれてか絵を描くトランペッターのヒノ・テルマサが飛び入りとなり、長時間それはにぎやかな会場になったとの事。 そんな不思議な出会いがあったと後日談。

絵(なごり)

●その九 さいごに 御礼 デザインを発注して下さいましたコミー(株)小宮山社長様に、厳暑の中、現場で製作して下さった方々。 素晴らしい製品を提供して下さいました皆様に心より御礼申し上げます。( 完 2006年夏)

鋳物板の置き床 玄昌石とバンブーフローリング
親方自らがコテを持って仕上げてくれた壁
プロフィール 大渕 澄夫 1947年生まれ ランドスケープ ドローイング 建築インテリアデザイナー (社)日本インテリアデザイナー協会会員 アトリエ・O 代表 「大淵澄夫とその仲間たちの手仕事」代表 【主な作品】 東京大学大学院教授 内藤廣研究室のインテリアデザイン 小田原鈴廣「千世倭楼」のインテリアデザイン アトリエ・Oのホームページ