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ユーロショップ出展記<連載No.2>

頼もしき通訳ナオコ女史

「コマイコウガイ」とドイツ人に読まれた

我が出展小間の頼もしき助っ人、通訳の「ナオコ女史」についてふれておきたい。
彼女は、日本の医者の娘で、かつて日本、アメリカ、ドイツの大学を出て、現在はドイツ人と結婚、43歳で2人の子供がいるという。
今回は国際見本市なので、3か国(英独仏)のカタログを作っていったが、彼女はそれ以上に6か国語をしゃべれるというので非常に心強い。
まず英語で相手に何語を話すか聞き、それに合わせた言葉で、我が社の製品の特長をベラベラしゃべってくれる(私なんか、日本語だけでも何回やってもよくしゃべれないのに)。

彼女には、こちらの製品を説明し、相手は本気か、ひやかしか、輸入業者なのか、問屋なのか、店装業者か、お店のオーナーなのか、どれくらい大きい会社か、ライバルなのか、今まで扱ったことがあるのか、我が社の製品についてどう思ったか…等々、少しでも多く聞き出してもらう必要がある。
また、それによってランク付けをし、カードに記入する。◎は、取引先になりそう。○は、なる可能性がある。 ×はひやかしと決めた。彼女はこれらの仕事を実にテキパキとこなし、一度に2~3人の相手をする。もちろん言葉も使い分けている。
用事が済んだお客さんに彼女は堂々と握手している。私も社長の手前、大事だと思ったお客さんにはあわてておどおど握手する。
実は出展にあたり、コンサルタントにどう演出したらよいか聞いた。コンサルタントいわく「ハッピを着て、タイコをドンドン叩きなさい。向こうは、日本の神秘性にあこがれている」。
そうかもしれぬ。タイコのドンドンは隣の小間から苦情が出たら困る。
しかし、ハッピはちょっと恥ずかしいがやってみようということになった。わざわざ日本橋(東京)まで行って買ってきたものだが、私は一日着ただけでやめてしまった。なぜか?
その理由は、この展示会の主役は彼女である、ということである。

主役はナオコ女史

彼女は43歳とはいえ、言葉が自由なうえ、毎日派手な服装をしている。あるときなどは胸元が目立つ洋服を着て、少女のように長い黒髪を背にたれ下げている。
しかも日本人だから小さいが「日本人は若く見えるのヨ」と青春を楽しんでいるようである。
そのためか、ヒマなときには出展者仲間が、うちの小間に来ては彼女と話したがる。
私などはハッピを着たところで彼女のそえもの程度でしかないのである。
そんな私の気持ちも知らず、彼女は「シャチョー、ハッピを着ればぁ!! 目立つのに!!」
また、「あたし、子供から老人まで人間が好き」と言いながら、出展者パーティーのとき、我々関係者の3人が誘おうとしたら、「あたし、別の人と行くかもしれない」と言い、いざパーティーのときは、どこかの若い男と「この人、とってもダンスがうまいのよ」と楽しそうに(あるいは必死に)踊っていた。
この会場を出たのは夜の10時半だったそうだ。ダンナや子供たちはどうしているのだろう。人ごとながら気になる。

初日は、ハッピ姿で…

来なかった「レバノンの兄ィ」

また、このパーティーのときに、彼女は“レバノンの兄ィ”に会ったという。彼は我がコミーの製品に非常に興味を持ち、展示会の最終日にサンプル(有料)1個を渡す約束がしてあった。
彼女は「非常に感じの悪いヤツだ。サンプルは取りに来ないだろう」という。
私は「あれだけ約束したんだから来るだろう」というと、実はこのパーティーのときに、彼は千マルク札(約10万円)をたくさん見せ、「つきあえ」といったという。「ああいうヤツに限って、商売はケチなんだから」と彼女は言う。
プライドを傷つけられ、怒ってはいたが、本心はまんざらでもなさそうであった。しかし、彼女の察しの通り“レバノンの兄ィ”はやはり最終日に来なかった。
そうした中で彼女はまた、同じホールの出展者と食事でも約束したのであろうか、いそいそと肩を並べて帰ることもあった。私の方は彼女と握手もしなかった。念のため。
日本人のお得意さんがウチの小間に立ち寄ったとき、「あたしこの展示会場でいろいろ見本市の経験があるのよ」と言うと、彼に「それなら、あなたはミス・メッセ(展示会)だ」と言われて、彼女は大喜び。
43歳で日本人からミスと言われればうれしいわけだ。彼女、そう言われたと、会う外人に言っては喜んでいたようだ。
一方、彼女は日本の古典が好きだと言い、万葉集を持ち歩き、これから大学院に行きたいというから恐れ入る。また、タバコをたくさん吸っていたが、子供に意志の強さを示すため、先日きっぱりやめたという。
彼女は通常、翻訳関係の会社に勤めているが、有給休暇を取って通訳アルバイト(6日間で約20万円)に来たという。まさにトンデル女性である。
日本に帰ってきて、電車の中で若い男たちはマンガ本を読み、女性は文学書やトンデル雑誌を読んでるのを眺め、今後はますます彼女のように外人と結婚する女性が増えていくのではないかしらなどと改めて思ってみたりもしている次第。

コミーの小間に来たお客たち

なにせ、もらった名刺だけでも30か国近くになった。いろいろな人間がいるものだと、つくづく感心した。その中で印象に残ったものを少し…。

①フランスの社長と常務
社長はロータリークラブのマークを胸につけ、落ちつき、大社長という感じ。常務はたくましくいかにもバリバリやり、強そうだ。
だがなんとなくいばり、ちょっと感じが悪いと思っていたら、固定ミラーの値段が高いと言って口笛を吹きやがる。
回転ミラックスについて、うるさいほど質問された。
フランス人には珍しく英語でしゃべってくれる(フランス人は英語がわかってもプライドが高いのでしゃべらないという)。
「ミラックス、ミラックス」「ワンモアクエスチョン?」をくり返し、これだけは私もよくわかり、しかもウチの製品の商品名を言ってくれるのでうれしい。100~1000個の見積もりを出せ、明日また来るという。
その夜、あわてて見積もりを作る。約束通り翌日2人とも来て、「ワンモアクエスチョン?」を言いながら細かい質問をしていった。有望なお客さんになるかもしれぬが、こっちは貫録負け。

<後日談>
日本に帰ってさっそく、彼らに改めて手紙や100個だけの見積書や写真を送った。
忘れたころやっと返事がキタ、キタ! しかし、フランス語で書いてありやがる。「解読」してもらったところによると「100個なんてとうてい無理、5~20個なら売れるかもしれぬ」とつれない返事。
サンプルを買ってでも売ってみようとする意欲もなさそう。
当時、会場で彼らが鋭い質問をしているとき、あまり貫録のないアルゼチン(南米)のオジさんが、ああくたびれたといった表情で椅子に座り、何も質問をせずに数分いただけで、140万円ぐらいの注文をくれた(入金発送済み)。
人は見かけによらぬもの、といったところか。

②大演説が止まらないケルン(西独)のオッサン
私がトイレに行き、戻ってみると、ナオコ女史に向かい、ドイツ語で1人しゃべりまくっているオッサンがいる。彼女がしきりに私に通訳しようとするがそのスキを与えない。
ほかのお客も彼女に話そうとするが、そのスキも与えない。椅子に座り込んで大演説だ。あまりの剣幕に、ほかのお客さんも笑い出す。笑われても演説は続く。延々30分ぐらい続いたと思う。

後で聞いてみると、内容は「俺は年間、これだけのミラーを売った。数人のセールスマンを使い、車に積んでドイツ各地を売り歩いている。こういうものは一店一店に売って取り付けなくてはダメ。
コミーのパンフレットもこんなものでは駄目。現在使っているガラス製は重くて扱いづらい。アクリル製が欲しい。
前に日本に引き合いを出したが、なしのつぶてだった。俺は英語がわからないのでドイツ語で見積もりを書いてくれ」ということだそうだ。
明日もまた来ると言って帰っていったが、本当に来たらどうしよう。仕事にならん。翌日確かに来たが、10分ぐらいで帰っていったのでほっとする。
チャップリンの映画「独裁者」のヒットラーみたいだった。ナオコ女史は「ドイツ人はしつこいので嫌いだ」という。
じゃあ、なぜ結婚したと聞いたら「ウチのはそうでもない」という。それは良かった。

③カナリー諸島の坊や
まだ30歳前だろうか、にこにこして話す。実は以前、東京・晴海の展示会のときも会った。
人口が少ないので数はあまり出ないが、見積書を送ってくれと言う。私より身体が小さく正直そうだ。こういう再会はうれしい。

④説得調のスペイン人
私にもわかりそうなゆっくりした英語をしゃべり、日本のハンドラベラー(価格札付機)のメーカーとも取引があるという。売ってみたいのでサンプルを欲しいという。
広い会場でウチの小間まで再び来るのは大変なことであるが、約束した最終日の6時に来てくれたので、こちらが価格を示し、領収書を書こうとすると、「これは借りるのだ、市場で調べてみて、駄目なら返す」という。
遠い日本へどのようにして返すつもりだ。遠い国のスペイン人で、しかも赤の他人を信用しろというのか、ナオコ女史もいくらなんでもヒドイという。結局ものわかれであった。

格好よいとは言えぬ私を含めた日本人

前年、フランクフルト見本市を見たときに自閉症気味になったことがあった。
広い会場を1人で歩く。デザインは素晴らしいと思うものがあるが、特に輸入したいものもない。展示会場では写真を撮ってはいけないという。
私はストレートに真似ができない性格であるが、それでは何をしにいったかわからないので、ひたすら真似をするためにこっそりメモをする。
うろうろしていると「キャン・アイ・ヘルプ・ユー?」(何かご用ですか)と言われ、それに答えられず黙って立ち去る。
おそらく先方には「なんて感じの悪い人だ、どうせエコノミックアニマルが真似をしに来たのだろう」と思われているに違いない。
しかし、金とヒマをかけて来たのだからと、自己にムチ打ち、こんなことを何回となく繰り返す。
やっと一回りして、日本の会社の出展小間に行き、ホッして日本語を話すが、もとより彼らは本業(商品説明など)が忙しく、あまり相手にしてくれず、ほんの数時間であったが自閉症気味になった次第。

我々日本人は背が低く猫背である。これだけならやむを得ないが、カメラを持ってカバンを肩から下げ、デザインを盗もうとし、しかも言葉がうまくできないので、まことに格好悪い。団体であればなおさらである。
それに比べ外人はアタッシュケースを下げ、背が高く、堂々と歩き、言葉に不自由もなく、格好がよい。
だが今回、やはり私にはそんな風に格好よくできないことがよくわかった。
金とヒマをかけた旅行では、写真は撮らなければいけないし、引き合いカードなどあらゆる大切なものを肌身離さず肩かけカバンに入れて持ち歩いていなければ安心できないのである。
ただ今回、逆に出展する側になって考えてみると、こっそり陰険に写真を撮るよりも、英語なんかできなくても、「ワンダフル!!」と言って撮りたいものを指さし「ピクチャーOK?」と、盗むというより、お世辞を言って学ぶということだったら、きっと楽しい見学ができたかもしれないと、それなりの反省がある。

酔っ払って今度はいばってみたが

ケルンの大通り。
人の賑わいは終日。
シチズン時計の壁面看板が見える。

これらのコンプレックスの裏返しというか、ドイツ人をつかまえてはしゃべってきた。20年以上前に高校のときにガリ勉した英語が、不思議と酔っ払うと出てきた。
「日本に行ったことがあるか」(私はこんな遠いところまで来ることができたんだぞ)。「日本人の平均寿命は世界一だ」「うちの会社はうんと小さいが、世界で1つしかないものを作っている」「日本はヨーロッパより百年近く学び続けてきた。しかし、これからはお互い学び合わなくてはならぬ」(日本は真似ばかりしてきたが、もう製品そのものにおいては真似するものがなくなった。そろそろ日本の真似をしてみたらどうか)。
「日本へ来たら連絡してくれ」と、身ぶりやノートなどを利用して英語で話しながら名刺を渡してきた。相手はわかったような顔はしてくれた。
これで私はずいぶん気分は良かったのであるが、今考えてみると次のようなことからゾォっとした。

電車で話しかけただけで、民宿まで車で送ってくれたドイツ人が「デュッセルドルフのメインストリート(インマーマン通り)は日本の企業でどんどん占領されている」と笑いながら言う。
また、デュッセルドルフで副支配人(日本のメーカーの販売会社で従業員約60人、日本人は数人のみ)をしている友だちが深刻な顔で話してくれたのは、次のようなことだった。
「カメラや電化製品で日本が勝っていたときは、日本人はよくやるといった程度で、まだたいしたことはなかった。
ただ、最近の日本からの自動車輸入が年毎に倍々ゲームするに至って意識が変わったようだ。会社に通っている者も日本の自動車に切り換えている。
自動車だけは負けんぞという気持ちが彼等にはあった。個人的には安くて良いものを求める。しかし、産業全体からみると政治的にも大変な問題だ。少しずつなら良いのだが、急激なのだ。
今では日本のこれらの問題がテレビに出ない日はない」ということだった(彼は古いベンツに乗っていたが)。

写真をパチパチ撮り、集団でわからぬ言葉をしゃべり、みやげをワッサワッサと買う日本人。
技術的能力の高さと、これらの姿がどう結び付くのか、プライドの高い現地の彼等としても複雑な気持ちにならざるを得ないように思えるのである。

No.3へ続く