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今や日本一の中小企業となったエーワンさんとの出会いの物語

今や日本一の中小企業となったエーワンさん。

──23年前のコミーとの出会いの物語。

看板業からミラーのメーカーにソフトランディングできたわけ──

エーワンは、我々の身近なところにあるOAラベルメーカーのパイオニアとして有名な会社である。

コミーが看板業からミラーのメーカーにソフトランディングできたのは、いろいろな人との出会いがあったからだが、中でもエーワンの新井社長(当時)との出会いが極めて大きかった。

昭和54年秋、五反田のTOCで開催された「ストアショー」でコミーは「回転ミラックス(防犯ミラー)」の展示をしていた。ほとんど客の来ない展示会で名刺を置いていった人がいた 。

しばらくそのままにしていたら、ある日名刺の会社から電話があり、台東区鳥越にあるエーワンさんを訪ねることになった。

その後、「初取引の時は、相手先に訪問する方針ですので…」と社長自らコミーに来社した。

かくしてエーワンさんとの取引が始まった。みるみるうちに注文が増え、売上げの半分以上占めたこともあった。

後になって考えたことだが、現金なので資金繰りの心配もなかった。

エーワンさんへ伺った際、『共存 共栄』という一見平凡と思える言葉が飾ってあった。後に取引が始まると、きれいな取引であり、その言葉通りであることがわかった。

新井社長からは学ぶことが多かった。それは回転ミラックスはどんなに売れても機種をとことん絞り込み、飾りをつけるなと言われたことである。

また、ミラーボールを発売した時も社長へ相談に行くと「これからはどこにでも使えるというより、使い方を限定したものでないと売れないよ」との助言。この言葉が後々にかなりの参考となった。

後にミラーボールは焦点を絞りきれず、高い授業料を払ったが撤退した。

生々しいエーワン社史にコミーが載っていた――

一冊のハードカバーの分厚い書籍が届いた。

エーワン40年「商いは信頼得れば春は来る」という題名の社史だった。

これはよくあるきれいごとだけを記した社史ではなく、中小企業の闘いをありのまま実名で記録した生々しく面白い読みものであり、事実を次世代に伝えたいという目的の社史であった。

読み出してみて驚いた。”苦難の時代”という見出しのところでコミーとの出会いが生き生きと書かれていた。

…秋に行われた五反田のTOCのストアショー(見本市)でコミー工芸社出品の「防犯ミラー」が目にとまった。商店用品の一環として取り扱いを考えて交渉すると「上場会社以外は現金取引」と言われて困り、しかもそれを社内で提案したら「こんなものは売れません」と全員に反対される始末であった。それでも「まず文具店に万引防止用に使わせて、それから売らせるのだ」と説得の末、セールスは不承不承動き出したものである。これが卸の単独見本市で予想外の大量注文が舞い込み、一転、セールスも自信を持って積極的に活動してくれるようになり、懸命の努力の結果として、当初の予想を遥かに越す販売数を記録してくれた。

……チャンスが到来したのは四月。西ドイツ、デュッセルドルフで開催される「ユーロショップ’81」に三ツ井智君を連れて単独でヨーロッパ出張して見学することにしたのである。初めての商店用品関係の見本市視察であったが、そのスケールの大きさと展示品の範囲の広さにはただただ驚くばかりであった。 この見本市には仕入先のコミー工芸が東京から出展、[防犯ミラー]を出品していたので、そこに手荷物を預けて広い会場を見て歩き回ったものである。…

──「商いは信頼得れば春は来る」(77・78頁より引用)

とあり、縁を大切にする社長の心が身にしみた。

エーワンさん日本一の中小企業おめでとう。
コミーもあやかりたい――

日刊工業新聞記事
日刊工業新聞 2000.12.12掲載

そのエーワンさんが第32回(社)中小企業研究センター賞(1999年/全国でトップの2社のみ)と、第18回日刊工業新聞中小企業優秀経営者賞(2000年/全国トップ)の2つの大賞を受賞した。

この2つの賞は共に何百万とある日本の中小企業でトップという賞であり、そのような会社とつながりのあることを、大変うれしく思う。

注)

  • 四半世紀(1975年発売)にわたる超ロングセラー、コミーの「回転ミラックス」は同じデザインで今でも売れています。
  • 「ユーロショップ’81」(1981年)は20年前にコミーが単独で出展しました。出展の決断時にやはりエーワン社長のアドバイスを受けていました。この時まとめた「ユーロショップ出展記」は面白いと大好評でした。まだ、在庫があります。興味のある方はお送りします。