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「掃除と分類」物語<連載No.4>

3ヶ月間の整理整頓の見直しを終え、その結果を「物語」としてまとめていると、「掃除」は日本発の文化だ!と改めて「掃除」の奥の深さに気がついた。

「経営とは経営者自身が掃除すること」と掃除を哲学まで高めた鍵山秀三郎氏

掃除は体を使う作業である。しかし、そこに生産性はない。だから、そんなもの重要視する必要は無いと思うかも知れない。また「掃除など新入社員にやってもらえばいい」と思うかもしれない。実際、私も掃除の大切さなど考えたこともなかったし、軽視していたのは事実だ。ところが、何の生産性もない「掃除」をすることで、見えてくるものがあるようなのだ。
それを教えてくれたのが、鍵山秀三郎という人だった。彼は、「イエローハット」という大きな会社の創設者だ。『凡事徹底』という本も著しているが、そこに一貫して書いているのが、「経営とは、まず経営者自身掃除をすること」というものだ。実際、鍵山氏自身、毎朝近所の掃除を続けていると言い、さらに、「毎朝の掃除を続けるだけで、国が明るくなり、世界がよくなる」と言う。

最初、この話を聞いたときには、「坊さんみたいな経営者もいるものだ」としか思わなかった。だが、社長自らが積極的に掃除を行えば、会社の業績がよくなるというのは、その後、多くの企業の動向を見て、本当だと思うようになった。

掃除は会社の顔となる

●「本当かなぁ?」

(15年前、感じたこと)

●「やっぱり本当だ!!掃除は日本の世界に誇れる文化だ。
だけどまだ鍵山さんのように徹底出来ない」

(最近わかったこと)

鍵山氏の著書『凡事徹底』にこんな一節がある。

「私どもは江坂の駅の向こう側に大阪営業所を持っておりますが、これは今から十年ほど前に倒産した会社の土地・建物を買ったものです。全国に出先がありますが、銀行から頼まれて、倒産した施設をずいぶん買ってきました。けれどもいまだかつて、倒産した企業で、きれいに整然と掃除が行き届いた会社はありません。(中略)そして使えるモノがたくさん捨ててあり、使いもしないものをたくさんつくっています」

この話から思い出したのが、バブル時代に読んだ新聞記事の、あるふたつの超有名企業の社長室の話だ。A社の社長の机の上は雑然としていたが、一方のB社のそれは整然となっていたというのだ。

バブル時代は、雑然としていたA社はチャレンジ精神にあふれ、活気に満ちているように見えた。一方のB社はバブルにも浮かれず、地に足をつけた堅実経営のように思えた。 バブルの時代が去って十年余り。A社は、派手な多角化が裏目に出たのか、多額の負債を抱え、縮小を余儀なくされている。B社の方は、堅実経営によって大きな落ち込みは見せていない。

掃除ひとつが、会社の性格や姿勢、会社の顔を表す、というのは本当だと思う。

「掃除で子供たちが生き生き」

では、政治家ではどうなのだろうか。鍵山氏の言う「経営とは、まず経営者自身が掃除をすること」を政治家に置き換えてみたらどうか。日本の国はたちまち良くなるかも知れない。しかし、そんなことに気づく政治家などい ないだろう・・・と諦めていたら、いたのである。鳥取県知事・片山善博氏である。

彼は6人の子だくさんで、PTAにも積極的に参加。教育現場を目のあたりにする機会が多いことから、その汚さに 驚く。

「私はこれは絶対にいけないと思ったんです。何が美しくて、何が無様か、何がみっともないか。この美意識を 与えることは教育の大きな要素であり、人間としての規範になりうる。先日私自身も含め、PTAみんなで壁のペ ンキ塗りをやったり、教室に脚立を立てて、蛍光灯の上にたまったチリや汚れを掃除したりしたんです。こうして いくと、不思議と子供たちは、本当に生き生きしてくるんです」(文芸春秋2003年2月号「失わなかった十年」 より)

掃除は政治家の原点

あるいは、松下幸之助が創設した「松下政経塾」でも、掃除を徹底して行わせる研修が必修としてあるという。
松下政経塾は、1980年、日本の政治の将来を憂える松下幸之助が私財70億円を投じて設立した一大政治家養成所で、国会議員をはじめ、地方議員・首長を含めると50人近くを輩出する塾だ。しかし、実際の研修の中味には「エリート養成のための高等教育」といった姿とはむしろ対極にあり、例えば全寮制である1年目は、「早朝研修」と称し、6時すぎから館内の掃除を行わせている。幸之助の「身の回りの掃除もできない人間に、国の掃除はできない」「掃除は政治家の原点」「地道に取り組むことで自分を見つめ直す契機にもなる」との考えが端的に現れたカリキュラムだ。

この塾から巣立ち、衆議院議員から横浜市長に転身した中田宏氏は、政治家初当選以来、毎朝演説に立った駅前の掃除を続けているという。(日本経済新聞2003年1月26日付から要旨抜粋)

こんな話を聞くと、日本の未来も捨てたものではないと思えてくる。

「掃除」が社風を上げ、不良品をなくす

いくつか挙げた例のように、成功した実業家や政治家たちが、口を揃えて「掃除」の大切さを説いている。それにしても、なぜ掃除なのだろう。

掃除ができるということは、ひとつには心に余裕があるということだ。余裕とは、周囲の気持ちをおもんぱかる心の余地を持っているということでもある。最近は自分の権利ばかりを主張して、人の役に立つことを考えない利己的な人間が多くなってきた。自分のこと以外に他を配慮する心の余裕がないのだ。

例えば、会社の洗面所のタオルが汚れていたとしよう。そのタオルを替えるのは、自分の仕事ではないと頭から決めつけ、そのままやり過ごしてしまうことがほとんどである。
しかし、もし汚いと気がついたなら、その人が替えるか、さっと洗濯でもすれば、次に使う人の気持ちはとたんによくなる。洗面所の掃除を担当する人にも大きく感謝の気持ちが生まれてくるだろう。
すると、会社のタオルなのだから汚れようがどうしようが自分の仕事ではないから関係ない、といった利己的な気持ちが社員の中からなくなり、できるだけ汚さないようにと、みんなが配慮するようにもなるだろう。掃除の担当者にしても、もしかしたら義務的にしか行っていなかったものが、もっと積極的にキレイにしたいと思うようになるかも知れない。

つまり、わずか洗面所のタオル1枚のことが、その会社全体の雰囲気をよい方向に向かわせ、社員の気持ちを1つにまとめて社風を変えていくのである。ある人は、こうした話を含め、掃除は「会社の身だしなみである」と言った。身だしなみ、というとピンとこないかも知れないが、要は、社員の心がけの如何が掃除に表れているということだ。
掃除の行き届いた会社は、内部の人たちはもちろん、外部の人に対しても安心感を与えることができる。「この会社なら、仕事を任せて安心」と思ってもらうことは、やはり大事なことだろう。

「気づく人になれる」掃除

さらに、周囲をおもんぱかることができる心の余裕は、ユーザーの気持ちを汲み取る能力にもつながる。それは、どのようにしたら消費者に喜んでもらえる商品を作ることができるか、そのアイディアの源にもなる。
自分の仕事で精一杯、周囲に心を配る余裕のない人間に、消費者に喜んでもらえる商品づくりができるわけがない。
「いかに人に喜んでもらえるか、人の役に立てるか」それをビジネスの基本とするなら、その原点が「人に喜んでもらえる掃除である」というのはビジネスの悟りかもしれぬ。

そして、掃除は「気づく」ことを教えてくれる。例えば、棚の掃除をしてみる。すると、出しっぱなしのモノがあることに気づいたり、あるべきモノがないことに気づくこともある。つまりは、それが整理整頓のきっかけにもなるわけだ。
社員一人ひとりが細かいところに気がつくようになれば、仕事のミスも減るだろうし、ムダも無くなり、不良品が生まれることもないはずだ。

掃除は、頭で考える以上に様々な利益をもたらしてくれるのだ。とりあえず理屈はわかった。

No.5につづく