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畳の部屋の物語 竹カンムリのデザイン 第1話

竹カンムリのデザイン

<はじめに> コミー株式会社(以下、コミー)の小宮山社長より筆ペンで書かれた「喜べば 喜びごとが…」の色紙の日付は2005年2月18日付となってる。 今から1年半前、初めてお会いした時いただいたものである。 この春、社長が月1回主催している「語志喜の会」の会員、三浦様より「コミー新社屋の中に和室を考えているのでちょっとアイディア・デザインを協力してほしい」という相談をいただいた。 お役に立つことができればと快く承諾した。 私の仕事はもとインテリアデザイナー。 インテリア現場・インテリアプロダクトデザインの仕事に長年携わってきた。 今でも、インテリアデザイナー協会の会員に名前だけは連ねている。 3年前、一人でスローワークをしてみたい。 自らが営業し、自らが創り、自らが納品する、そんな仕事を残りの人生、ゆっくりやってみようと「建築画家」に変身した。 夢と現実は異なりゆっくりなんてやっていられない、毎日が時間不足で徹夜も多い。これは想定外だった。 そんな中で都内の経営者セミナーに参加してみた。 経験豊かな講師が「これを御存知の方いませんか」と手にしたものは、光ったディスクテープのようなものだった。 誰もわからなかったが、それがコミー社のFFミラー、航空機の忘れ物防止ミラーだった。 講師の経営コンサルタントの先生は私に小宮山社長が主催する「語志喜の会」を紹介して下さった。 それが社長、コミーとの運命的な出会いだった。その時のお言葉が「喜べば…」だった。 ◇ 和室の計画のお手伝いを承諾してすぐゼネコンより設計図のコピーがFAXで届いた。 3階北側、社の事務所・開発室の奥に和室6帖はあった。 押入れ、床の間、障子がついていたが、廊下との段差はあまりないものだった。 「コミーは何をしている会社ですか?」 答えは「物語を創っている会社です」これはよく知られているフレーズ。 「物語を創る哲学的空間を畳部屋としたい」これが社長の考えだった。 社長のもう1枚の名刺は國際箸學會、設立準備委員となっている。 名称の文字は社長の描いた今は懐かしくなった旧文字体であり、旧文字である。 ロゴマークになっている『箸』の文字は、右下がりの斜線は朱赤の箸がイラストで入っていた。 見開きになっていて左側の上部に『日本文化を学び、新しい箸文化を創り、箸を通じてあらゆる人と共に喜ぶ』とテーマが記されていた。 箸文化を通して、これからの日本を考える哲学的空間。 ちょっとプレッシャーもあったが、ロゴマーク上部の箸の竹カンムリで応えてみようと考えついたが、その頃はまだ頭の中にイメージも固まっていなかった。 私には竹カンムリには色々な出来事、出会い、思い出がたくさんあったから大丈夫という自信だけは持っていた。 2006年8月臨時増刊号の雑誌『文藝春秋』の特集、タイトルは「私が愛する日本」テーマは「日本人でよかったと思う瞬間」。 作詞家・作家の阿久悠の「一人畳に寝そべれば」を読まれた小宮山社長からFAXが届いた。 「さすが阿久悠だ」と記してあった。以下その内容を記す。

人が天井と心の会話をするのは和室、畳の部屋に限られる。 洋室でベッドにドタリと転がっても、決して哲学的空間としては見ないのだ。畳は匂いを発する。 新しい青畳は鼻孔から神経に流れ込むアロマの効果があるし、古畳には古畳の、母とか故郷とかに通じる大きな安らぎの力がある。

また次のようにも記されていた。

畳の部屋があって座布団があれば、その座布団の数と並べ方によって、二人の密室にもなれば二十人の集会所にもなる。 あるいは、座布団のレイアウトの仕方によって、その場の目的と人の立場を演出することも出来る。 一人なら、黙考すればいいのだ。 畳と座布団の関係は、かくも融通無碍フリースペースのユーティリティ、公私如何ようにも使える優れたものなのである。 これを知恵と感じなくてどうしよう。

見事な文章である。「さすが阿久悠」と社長がうなっただけの事はある。 大きなヒントと心得てコミー社和室計画図面のファイルの一番前の方に差入れることにした。 ◇

届いた和室の平面図の上に、トレーシングペーパーをのせて、入口部に踏み込みスペースを描いてみた。 靴と同じ高さの和室の踏込みでは、和室に非ず最低限の高さ確保を申し入れた。 15cmが限度に近い。バリアフリーがよいという話もあるが、ここではそれが敵となる。 上着・コートを床に置いたり長押に吊したりでの対談は、哲学的空間にふさわしくない。 最低限のコート入れ・靴入れを計画しよう。部屋内に入るには直接でなく予備空間を経てから入れるようにしよう。 ふすま引き後に本丸入城、そんなこんなを考えながらトレーシング上にプランはでき上がった。 スケッチ図面は社長の目にどう写っただろうか。 メモ入りスケッチはよく理解されていない様子だった。 「わからない」そんな社長の顔があった。ちょっと不安がよぎった。

◇ 久しぶりに遠出がしたくなった。建物も絵も見たくなかった。 遠出が畳の部屋の参考にしようとは思っていなかったが、頭をかすめたのは浜松市天竜の秋野不矩の美術館だった。 もう1件は熱海市の日向邸だった。前者は絵と展示空間と建築が一体になっている素晴らしい建築と評判は高かった。 7月中頃、思い切って出かけた。天竜川と杉材の集積場の緑濃い街。 歴史色濃い城下町。92歳まで絵筆を執った女流画家の出身地、小高い山にその美術館はあった。

設計は建築探偵団の団長として有名な東京大学教授、藤森照信氏。バラガン風、バラキュラー風の外観は、自然に溶け合っていた。 スサ入り粗目の外壁は田舎の土蔵のようだし、内部のスサミエ漆喰には冷たさがない。いい味である。 下足箱がある。学芸員の黒田さんにガイドを無理矢理お願いして展示作品・展示空間の解説をしていただく。 人・作品・空間が一体化した世界の気を感じるには素足に限ると改めて痛感した。 前室の床は籐ムシロ。後室のメインとなる部屋の床は大理石となっていた。ここに竹カンムリがチラリと出てきた。 「建築家もチェーンソーを持ってあの柱を削ったんですよ」とホールの柱を指さして売店の女性が話してくれた。 スタッフも全て一体になっている好印象の美術館だった。

7月末。 熱海市日向邸を訪れる。世界的建築家ブルーノ・タウトの亡命4年間中唯一の建築物件。 外観のないインテリアのリフォームである。賛否の論はあるが、何故か竹が手すりや照明に使われていた。 悲劇の建築家の竹への執着、後日ゆっくり考えてみようと思って切ない気持ちで帰路に着いた。 部屋の部位を示す場合、建物では床・壁・天井という順で進む。 堅苦しい話はやめて畳部屋を構成する材料・メーカー・担当者・現場を作って下さった方々の紹介を報告書として記してみることにする。 No.2に続く

プロフィール 大渕 澄夫 1947年生まれ ランドスケープ ドローイング 建築インテリアデザイナー (社)日本インテリアデザイナー協会会員 アトリエ・O 代表 「大淵澄夫とその仲間たちの手仕事」代表 【主な作品】 東京大学大学院教授 内藤廣研究室のインテリアデザイン 小田原鈴廣「千世倭楼」のインテリアデザイン アトリエ・Oのホームページ