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車椅子から見たニッポン<連載No.8>

「車椅子に乗る時はおしゃれをして乗ります」柳澤桂子(遺伝学者)
「どんなに不便でも見苦しくても、どこへでも出て行く」多田富雄(免疫学者)

『露の身ながら』

多田 富雄 (著), 柳澤 桂子 (著)
\1,470 (税込)
単行本 (2004/04) 集英社

『半身不随になる前は気がつかなかった事ですが、日本の公共施設は障害者に不親切といわざるを得ません。歩道は段差が解消されていないので、車椅子では危険です。タクシーにも乗りにくい。タクシーをせっかくとめたのに乗れないこともあります。裏の道は白線を引いただけの歩道ですから、乗り上げて駐車されていたりすると、ぐるりと遠回りしなければならない。
私は、今地下鉄の湯島駅のすぐそばに住んでいるのですが、道から入れるエレベーターが一基もないので利用することが出来ません。障害者のトイレは、駅やデパートでも少ないし、ちょっとした段差があれば目の前にあっても入れない。町に障害者の姿を見かけないのは、障害者が少ないのではなく、福祉の眼が行き届いていないからです。

この間、国立第二劇場の中劇場にバレエを観に行きましたが、急な階段座席で車椅子はもちろん入れられない。人の手にすがって、文字通り命がけで席にたどり着きました。帰るのがまた大変。登りついたときは、全身に冷や汗が出ていました。
能楽堂で障害者用のトイレがあるのは、国立能楽堂だけです。中には高い階段の上に能楽堂を建てて、手すりすらないのもあります。何しろNHKホールでさえ障害者に対する配慮がない。これでは文化国家とは義理でもいえません。車椅子の観客が外国より少ないのはそのためです。
それに日本の車椅子自体も未完成です。長く座っていると腰が痛くなる。片足でこぐのには重過ぎる。シートももっとよい工夫があるはずです。私のように、自分でこいで歩くと体がずれてしまうし、ストッパーやフットレストも使いにくいのしかない。これだけエレクトロニクスが進んでいるのだから、もっと合理的に出来るはずだといつも思います。

私が一番困ることは、組み立て式の一番進んだとされる車椅子でも、タクシーのトランクに収納するのが難しいことです。付属品を全部取り去っても、あと二、三センチという所で引っかかってしまう。また日本のタクシーのトランクは、燃料のタンクがあって狭いのです。電動車椅子に踏み切れないのはそのためもあるのです。こうして障害者は行動範囲が制限されてしまうのです。

でも私はどんなに大変でも外出をやめません。病院に行っても、私の障害は重い方で特別のケアーを必要としていますし、言葉は全くしゃべれません。危険があっても、助けを呼ぶことが出来ない。
なのに、私の行動範囲は普通の人に引けを取りません。それは好奇心が強いからだけではなく、一種自分の弱さとの闘いだと思っているからです。介護用品に頼らないでも、何とか人間らしく生きたい、そう思って不便に耐えているのです。

私の障害は重度ですが運動麻痺だけです。右半身は全く動かない。でも考えることは出来ます。知力の点では、普通の人と全く変わりない。

喉も筋肉の重度の麻痺です。嚥下ができなくて水さえも飲めないし、声も出ない。でも人格に変化があるわけではない。大脳半球のウェルニッケの言語野は、日本語の部位だけでなく、英語やイタリア語の部位も、生き残ったらしい。単に運動機能障害が強いだけなのだ。そう気づいたとき、おおげさに言えばある種の覚悟が生まれました。そして、障害と闘う気持ちが出て来たのです。

だからどんなに不便でも、妻に頼ってどこへでも出て行くつもりです。涎を垂らしたり、言葉で答えられなかったり、転びやすかったりして、見苦しいかもしれないが仕方がありません。
介護用品にあまり頼りたくないのも、そのためなのです。不便がなくなると甘えてしまい、日常の闘いの気力がくじけてしまうのです。自分を甘やかせてしまうのが怖いのです。

私は運動機能の麻痺だけですからこんなことを言えるのですが、痛みや苦しみがあるのでは、耐えることだけで気力が削がれてしまうのでしょう。でも、柳澤さんの今度のお手紙は、強靭な精神力を感じさせ、とても病床にあって書かれたものとは思えません。元気付けられます。』

(多田富雄氏の文より抜粋)
平成18年4月